幸福王子 ネタバレ 大雑把考察

2020/11/5 19時公演 『幸福王子』

 

https://koufuku-oji.com/

 

原作はオスカー・ワイルドの『幸福な王子』。私は、子ども用に簡単にされたお話をなんとなく読んだことがある気がするなぁ…程度で、ネタバレも一切踏まずに観劇した。

 

『幸福王子』という名前だけで、何も知らない単純な私はハッピーエンドだと思っていたが、見終わった時に思ったのは

 

結局誰が幸福になったんだ!?

 

ということだった。

 

何に重点を置いて何を幸福とするかで難しいとこだが、この人は幸福です!と言われても、幸福であったとしっくりとくる登場人物がいない気がした。

 

ただの大学生の私が分からないなりに、いろいろ考えたくなり分からないなりにまとめたくなったので、ここからはひたすらに思ったことや感じたことを述べていきたいと思う。

 

1回の観劇なので、記憶違い等たくさんあるガバガバのまとめになるが自己満足なので致し方ない。

 

 

まずは王子とツバメについて。

 

王子(本髙克樹)

生きているときは宮殿の中で楽しく生きてた人。快楽主義。

像にされて500年間、高台から街の様子を見て人間の汚い姿を知るが、台座に足が固定されていて動けない。→王子自身の力では助けれない。
ツバメが来てツバメに自分についているルビーやサファイアを貧しい人に届けるよう頼む。その助けが一時的なものに過ぎなくても、その時だけでも助けれたらいい。"良い事をした"
ツバメの話は聞かない、自己中心的側面がある。
自分が正しいと思うことをする。
神に良い印象はない。(神は貧しい老婆だとしても多額の金を払うほど信仰心が高いとしていた)
この世の中はゼロサム

 

ツバメ(今野大輝)

小さい。
薔薇に一目惚れしエジプトに行くのを遅らせる。薔薇が喋らないこと、動かないことに逆ギレする自己中心的さがある。薔薇に「一緒にエジプトに行かないか?」と誘う。
キラキラが好き。遠くは見えず近くしか見えない。
王子から人間の話を聞いて、「人間にはなりたくないな。」
王子を独善的と評しながらも、王子の言うとおりに動く。
王子を愛してしまった。

 

 

さて、ここから物語についてである。

 

ABOUT

広場に立てられた「幸福な王子」の像と空を飛び回るツバメが、貧しい人々の為に自分の身を削ってでも、他人のためを思う姿を描いた本作。

STORY
町に立つ美しい王子の像。目にはサファイヤ、全身は金に覆われ、剣の柄にはルビーがはめ込まれている。人々からは、幸福な王子と呼ばれていた。だが、王子の目には、町の不幸な人々の生活が見えていた。動くことのできない王子は、じっと悲しみを堪えているのだった。
そこへエジプトに越冬しに行く途中のツバメが立ち寄る。
ツバメは王子が悲しんでいる理由を聞き、王子の手足となって、目や剣の柄の宝石、体を覆う金を、貧しい人、恵まれない人に届けていって

幸福王子ホームページより ROCK READING『幸福王子』公式ホームページ/ 公演日程・チケット情報など

 

あらすじを見ると、ハッピーエンドを疑わないものではないだろうか?

果たして本当にそうなのだろうか?幸福王子はハッピーエンドのものなのだろうか。

 

私は最初に述べたようにハッピーエンドではないように感じた。劇中のセリフには思わずドキッとしてしまうものも幾つも散りばめられていた。

 

王子は貧しい人を助けようとした。実際に身を削りツバメに協力を仰ぎながら一時的なものなのかもしれないが貧しい人にとっては助けてもらったということで間違いないであろう。ただ、本人達も言及するように根本的な解決はされないのだ。

 

  王子は人助けをして良い事をしているように見えるが、実際はツバメの言うように独善的であり、ツバメの話は一切聞かないという部分がある。
 王子は悪い言い方をするとツバメを利用していたのではないだろうか。ツバメは薔薇に対して一目惚れしておいて、喋れないこと、動けないことに逆ギレしたり自己中心的ではある部分もあるが、純粋すぎるが故のものでもあると感じた。そんなツバメの純粋さを故意的なのか無意識なのか王子は"良い事をしている"という快楽を得るために利用していたように思う。


 ツバメが「もうダメかも」と王子に伝えた際、「エジプトで羽を伸ばしてゆっくり休むといい」と答える王子がひどくずるいように思った。自分のせいで死ぬのだということを分かっていながら、ツバメが死ぬということをエジプトに行くからいなくなるのだ、と解釈しようとしているのずるいと感じた。ツバメはエジプトに行くからではなく死ぬということをはっきり伝えるので、ツバメが死ぬということを認めざるえなくなるのだが。

 

 ツバメは王子のことを愛してしまった為に、エジプトに行かずに王子のもとで王子の足になり目になりを選んで結局死ぬ。このことは、王子も王子が邪険とする人と同じように自分のために誰か(ツバメ)を働かせていると言えるのではないだろうか。ツバメの意思といえど死まで追い込んでいる。それはゼロサムにおける一番最悪な結果だったのではないだろうか。ただ、傍から見ると王子の良いように使われている可哀想なツバメだが、ツバメは王子と一緒にいれることに意味を見出してしまったのだとも考えられる。

 ツバメはもともと薔薇に一目惚れしてエジプトに行くのを遅らせるなど、好きな人が出来たらそこしか見えない。ツバメは視界と同じように遠くのことは見えなくて近くのものしか見えていなかったのではないか。先のこと(遠く)より、近くのこと(王子の近くにいること)しか見えてなかった。


 薔薇には自分と一緒にエジプトへ行かないか?と誘い、行かないとされたことに怒っていたツバメが、喋れるが薔薇と同じで動くことのできない王子には「一緒にエジプトに行こう」と誘うのでなく、ツバメは自身が王子のところに残ると話した時点でツバメは王子のことをすごく愛していたのだと思う。ゼロサムの世界や王子の独善的な部分に疑問や怒りを覚えながらも、それ以上にただ王子ことを愛していたのだと思う。

 ツバメは「冬超えしてみたいし」と話していたけど、自分は死ぬって分かってたと思う。それでも王子のところにいると決めたのは愛でしかないのではないか。
ツバメの話はいつもキラキラしていた。弾んだ声で王子に話していた。王子はいつでもそれを遮ってツバメに頼みごとをするのだけど。
目のサファイアがなくなり世界が見えなくなったことを悲観するわけでもなく、むしろ見なくてよくなったと言っていた王子が、自分の目ではなくてもツバメの目でまた世界の様子を見ようとしていた。

 

  王子が自分の剣の飾りのルビーや目のサファイア、体についてた金を貧しい人にあげる自己犠牲と、息子のために少ない給料で働き続ける母親、若ハゲ脚本家、マッチを売る少女の自己犠牲は結局同じなのではないか。結局、一時期的だとしてもの救済は王子の自己犠牲のうえで成り立っている。"良い事"は誰かの犠牲がなければ成り立たないのか。王子のしていることも結局ゼロサムである。誰かを助けるのに王子は損をしている。


 最終的にルビーやサファイアの宝石がなくなり、金をもなくなった王子を市長や市議会員は「なんてみすぼらしい」と笑う。王子の像を溶かし、自分の像にしそうと醜い言い争いを始め、王子の鉛の心臓は捨てられる。
  神は天使に「この国で一番尊いものを持ってこい」と告げ、天使は王子の鉛の心臓とツバメを神の元へ差し出す。
  一見、"一番尊いもの"が"良い事をした王子とツバメ"であるように思うが、良い事≒自己犠牲であった王子である故、誰かの犠牲により成り立つ幸福をこの国で一番尊いものとされ、神に永遠の幸せと称し神のもとで働くよう言われるのは、この世はゼロサムであることが明確にされたようで、あまりにも皮肉的で苦しい終わり方に感じた。ラストの「バカか!お前らは!」は、王子自身を含めた全ての人への投げかけのようであると思った。

 

 

 

最後に。

 

カーテンコールで王子から本髙克樹に、ツバメから今野大輝に戻っての挨拶が学習発表会の子どものようでとても可愛かった。

 

あ、片手でペットボトルの蓋を開け、水を飲み、片手で蓋を閉める今野大輝さんがかっこよかったです。

 

ありがとうございました!